かなり前の話しですが、
ヨガの本を読んだ時に、ヨガの目的とは幸せになる事。
私は誰か。自分を知る。自分を知る事によって幸せになれる。と書かれていました。
その時
ああ、そうか。
わたしって体が、硬い。
そう言えば生まれつき硬かったな。だから硬くても仕方がないんだ。柔らかくならならなくてら当たり前。諦めよう。
と思ったら心が途端に軽くなり、自分を知って幸せになるとはこんな事だろうと思っていました。
これはたまたま、納得して、諦めて、楽になっただけで自分を知った事にはなりません。
だって生まれつき硬いなんて。わたしが知っているわけはありません。
体の硬さの事だけで納得しても、ほかにまた違う体の不具合がでてきたらまた幸せではなくなってしまいます。いえ、もし体が柔らかくなってしまったらどうするんでしょう。途端に心はこんがらがってしまいます。(実際その頃より数段今は柔らかくなりました)
私を知るなんてそんなたやすい事ではないんですよね。
でもそんな事で知ったような気になって幸せにもなったような気になったのは事実。
私って
幸せって
面白いものです。
私探しの旅という言葉をよく耳にした時期もありましたが、
私なんてわざわざ旅にでなくてもそこらじゅうに転がっています。
でも私の顔した私じゃないのとか
私の顔してない私もいるから 危ない危ない
0 件のコメント:
コメントを投稿